「僕が抜けた世界で踊っているんです」 数学者のはなし


「数学なんて、僕の人生の体積を計算できる代物じゃないですよ」。

東京都に住む、守山豪。世界的に有名な数学者だ。彼にインタビューしたとき、彼は最初にこう言った。

彼 はアメリカで生まれ、両親は日本人。幼いころから勉学で才能を発揮した(しすぎた、という考えが自然だ)彼は、4歳でラテン語など3ヶ国語をマスターし、 7歳で相対性理論に興味を持った。8歳で大学数学を解き、9歳でシカゴ大学に入学。11歳で博士号を取得した。卒業論文は「微分の測量と直線に於ける新観点からのアプローチ」。

14歳でドイツの航空機会社に顧問として雇われ、18歳で憧れだった数学者に転身。現在までに数百を超える定理を発見したという。 23歳でウクライナの大学の客員教授としての活動をし、現在25歳の彼は昨年末に帰国し、都内で「無職」の生活を送っている。

凡人の私には理解できない世界、いや、同じ脳が備わっていても理解できないものである。

彼が、月収8000ドルの仕事、一生保障された生活を蹴って日本へ来たのはなぜだろうか。これが、私の大きな関心だった。

「問題を解いているとね、やっぱり楽しいんです。あなたもわかるでしょ? 自分が解ける問題”なら”楽しいんですよ」

確かにそうだ。「1+1=2」(大して楽しくは無いが)をいくら解いても、苦痛は無い。感じるのは少しの飽きだけだ。でも、微分積分なんて言われたらテンションは一気に下がる。

「でも、数学ってね、わからないことを追求する学問です。どれも学問って言うのはそういうものなんですが、数学は自分の考えがそのまま決まりごとになる。つまり、定理を発見すれば、自分のルールが世界のルールになるんです。一種の支配欲かな。それは、快感でした」

たまらなくそれが快感だったのだという。アルコールやタバコ、麻薬に匹敵するほどの…。「僕の人生の体積なんて一生かかっても出せません。でも、数学にはそれを上回る知的興奮があったんですよね」

そんな生活を、数学者としての生活を2年も送ったときだった。彼は余りにも早くあることに気が付いた。

「世界の全ての発見」に。

「それはもう、恐ろしくて。あれは世界の真理だと、今も僕はそう思ってます。世界の全て、少なくとも数学の全てを発見したあの恐ろしさといったらないです。今まで、自分が楽しくてやってきた仕事が、たった”5行の計算式で”表されたんですよ」

そう。彼は「世界の定理」に気が付いたというのだ。この世界を、地球を、宇宙を作る「真定理」を―。それも、たった5桁の計算式で。

彼が一番最初に覚えた数式は、幼いときに父親が教えてくれたという「1+1=2」だと言った。「これに匹敵するんです。あの定理は。僕はそのことがたまらなく恐ろしくなって、1週間寝込みました。『自分がこんな定理を知っていいのだろうか』って」

1週間後、彼は起き上がった。そして、まとまり掛けていた月収8000ドルの求人を蹴り、日本へ来た。「定理の発見」は数名にだけ伝えられたが、現在世界は彼の「定理」が何かということに注目が集まっている。

「もう数学への情熱が消え去ったんです。それで、すること無いから両親の故郷である日本に住んでのんびりしようかなと。でも、あの定理は一生の秘密です。僕は死ぬまで言いません。だって、ここであなたのすべてが5桁で表されるのって、恐怖でしょ?」

彼は、まっすぐにこちらを向いて言った。深すぎる瞳の黒は強いエネルギーに満ちている。私にはまだ聞きたいことがあったが、彼はこう言ってインタビューを終えさせた。

「数字で表現できないものはある。人の人生とかがそうです。でも、人の人生が存在する世界が実は数字で出来ていたら、それはもうこんがらがるでしょ? 世界は、今も5桁の式の元で踊らされているんです。それを発見した僕だけが抜けた世界で」

彼が、この上なく恐ろしい「人以外のもの」に見えてしまったのは私だけではないことを願う。