「笑いって、いいですね」 大阪のある男性


「笑いって、いいですね」。そう、とてもうれしそうに話す男性に出会った。

大阪市内のある駅前に、毎朝立つひとりの男性がいる。スーツ姿で、白髪。メガネをかけた、とても優しそうなO.Aさん(53)だ。朝の通勤・通学ラッシュの雑踏の中で、雨の日も風の日も、自分が体調を崩したときも、10年間駅前に立ち続けているのだと言う。

毎朝立って、何をするのかといえば、「漫談」だ。駅前に取られた広場の隅−電話ボックスの横−で、何も道具を使わず、投げ銭の容器も置かず。

や んわりした口調で、政治風刺に世相批判。ときどき厳しいことを言ったり、あるときは泣ける人情話を披露する。ネタの引き出しは、自由自在だ。他人の特徴を 話で使うことがあるが、決して毒舌ではない。やさしく、その人を嗜めるようなしゃべりは、親が子供を可愛がっているようにも取れる。

決して、爆笑ではない。でも、クスッ吹き出してしまう、言葉のうまさ。楽しい。何度でも聞きたい。それで、何度も聞きに行くと、そのたびに違うネタ。一度も被ったことはない。

彼は、なぜここに立つのか。

「僕 は、本当に笑いが大好きでした。昔は、一応プロをやったこともありましたよ。デビューした直後は、そこそこ人気はあったんです。でもね、1年経つと、笑い が鈍ってきたのがわかりました。2年経てば、観客は芸ではなく、僕のキャラクター、出てくると言うことで笑い始めた。3年目には、それもダメになりまし た。飽きられたんです。僕は力が足りなかった。妻と子供とは逃げられました」。

彼は、その後、この世界から足を洗ったのだという。

「大 人になってからずっと芸人してたクチですからね。その後就職した会社ではたいしたこともできなくて、10年前に首になりました。絶望でした。何も残らな かったですから。そんな時、笑いが僕を助けてくれました。テレビを見ると、僕と同期の芸人が、ベテランになってる。ネタも、時間にもまれ、僕が敵わなかっ たほどだったものが、もっと一品になっていました。それを見て、笑いへの情熱がまた燃え上がったんですね」

彼がここに立ち始めたのは、そ れから3ヵ月後。最初は、「今で言う毒舌」だったと言う。物珍しさもあってか、1ヶ月くらいは道行く人も多く立ち止まってくれた。。しかし、ただむやみに 人を批判し、揚げ足取りの芸風は、自分がやっていて満足がいかなかったのだと言う。「受けは取れました。でも、この笑いで誰が楽しくなれるだろう、と思っ たんです」。

実際、2ヶ月目には誰も足を止めなくなっていた。「やっぱり、お客さんは一番の成績表です。他との差がはっきり出ます」。

それ以来、彼は変わった。世間で言われる「だめな人」「だめな政治」「だめな世相」をやさしく、厳しく、嗜め諭す芸風になったのだった。「今度の芸風は、満足が行ってましたが、受けは少ないと思っていました。実際、お客さんは少なかったです。と言うより、いなかった」。

それから10年。彼は毎朝その芸風で、ここに立ち続けている。全員が目的のある朝の駅で、立ち止まってみてくれる人間など滅多にいない。それでも、たまに立 ち止まってくれればそれでいいと言う。「僕の芸を観て、『よかった』『楽しい』と言ってくれた方が何人かいる。それだけでいいんです」と嬉しそうに語る。

生活はと言えば、首になったあと、デパートの清掃員をしている。生活は楽ではない。それでも、毎日、新ネタを作り、立ち続けるのだ。

「笑いって、いいですね」。彼は、何か質問するたびにそう答えてくる。心から笑いを愛しているのだろう。忘れていたやさしい笑いの感覚が、私によみがえった。今日もまた、彼はまたひとり、やさしい笑いを人に与えた。

そうして朝。彼は、新ネタで、立つ。