American Japanese


「アナタハァ ドゥコカラ キタノディスカ? ハイ」
「アニタハァ ドゥクカラ キタァディスカァー」
「ノンノンノン…。 ”ドゥコカラ”。 O.K?」
「ハーイ」 ……。

私は、先ほどから椅子に座り、アメリカの中学校の教室で行われているこのやり取りを熱心に聞いている…ふりをしていた。とても、こんなものが日本語の授業とは思えないからだ。笑いをこらえるのがつらい。汗が吹き出た。

私は、アメリカの中学校での日本語指導員に選ばれ、はるばるやってきた。アメリカ観光気分の軽い気持ちで引き受けた仕事だったが、今日のこの様子を見る限り、軽い気持ちで楽しめそうに無い。

ここまでだとは、正直思っていなかった。よく「アメリカン・ジャパニーズ」と揶揄される独特の発音であることは聞いていたが…。フランス人やカナダ人の日本語のほうが聞きやすい気がする。

「スラデハ、ニポンカラ、言語シドーキョーシナ人ウォ、オヨビシテイマス。タナーカ サンデス」。
この声で、我に返った。私は、椅子に座ったまま体が硬直していた。こちらを見た、たぶん45歳は超えているであろう、メガネを掛けたいかにも「熟練教師」の女性が話す「言葉」は、何度聞いてもつらかった。

慌てて立ち上がり、「どうも。日本から来ました、田中と申します。今回は、皆さんとお会いできて嬉しいです」。
慎重に言葉を選び、聞き取りやすいようにはっきりと発音していく。アメリカの中学生は皆、真剣にこちらを見ていた。

冷や汗が出るくらいに緊張したが、自己紹介を終えた。すると、「タナーカサンニィ、本場ノハトゥ音ウォキカセテモライマショー」と、熟年教師- ルーシー先生 -が言った。

「ディハァ、次ノ言葉ノハトゥ音ウォ…」そう言って、見せられたのは卵とタバコがかかれたボードだった。私は、少し唇を噛んで、頷いた。

「わかりました。それでは…、いいですか? まずは、eggのほうからです。「たまご」。「たまご」」生徒は、eggにだけ反応したが、その他の日本語は理解できていないようだった。

「次は…「たばこ」。「たばこ」。「た・ば・こ」」口を大きく動かしながら、大きな声ではっきりと発音する。教室には、私の「たばこ」しか聞こえないほど、誰も音を発さなかった。

言い終えると、なぜか拍手が起こった。生徒たちは目を丸くし、隣の友人たちと何か話している。聞こえてくる会話は、「あんなの無理だよ」「舌べらの構造が違うんじゃないか?」といった感じ。

「アリガトウゴザイマス。ディハァ、コンドゥハァ会話ノレンシューデス」。先生はそういいながら、教科書- 表紙には京都のゲイシャの写真で、真っ赤な文字で「日本語」と書かれている -を示した。

「ロバート、43ページノ、レッスン1カラ、マズ和夫ノ、ハナシウォヨンディクダサイ」
「ロバート」だけがとてもキレイに発音されたことに気付き、また笑いはこみ上げてきた。ロバート呼ばれた少年は、立ち上がった。

「僕ハ、日本ブシドーニノットリ、一人ノ人間トシテデハナク、一人ノ武士トゥシテ、生活シティイキテディス」

ぎこちないながらも、しっかりと読み終わったロバート少年は、緊張しているのかこちらを何度も見た。

「いいですね、うまいですよ」
といってやると、嬉しそうな顔をして座った。

「ユゥクデキマスネ。次ハ、カレン、続キデス」
カレンは立ち上がった。「僕ハ、秋刀魚ガ大好キデス。秋ハ、家族デオイシクイタダキマス」
「カレン、O.K。デハ、ココウォミンナデ繰リ返シマショウ。僕ハ秋刀魚ガ大好キデス」
生徒は一斉に言う。
「僕ハ秋刀魚ガ大好キデス」
ここで、完全に噴出してしまった。何だこの「会話」は。アメリカの日本語教科書はこんなものだから、今は「日本語が書けても話せないアメリカ人」ばかりなのだと、実感した。

日本が戦争に勝ってから60年。日本語教育はアメリカに完全に定着したといっていいだろう。しかし…。絶対に、こんな会話は使わないんじゃないか?

中高と9年間も日本語を練習するのに…。まったくアメリカ人は日本語がダメだ。「駅前留学」なんていうのもあるらしいが、そこで講師をするのは日本人ではなく、韓国人や中国人だと聞く。

授業は、「自分の好きな日本の祝日について」という内容に移っていた。とても普通に聞いていられるものではない。笑いが止まらなくなった。

……あぁ、ここで1年間何を教えればいいんだ? 今から頭が痛い。