「葡萄と少女」は存在せず スイス文化院


スイス文化院は27日、長年の西洋美術史上の謎とされてきた「葡萄と少女」は存在しないとする論文を発表した。来月の歴史学誌「エインステイン」に掲載される。400年越しの結末が、美術界に衝撃を与えることは必至だ。

「目撃者無き絵画」

1600 年代前半のオランダ人画家、グスタール・エイルーファンの作品とされる「葡萄と少女」が初めて文献に登場したのは、グスタールの死後50年近く経ってからのこと。オランダの展覧会の出品リストに「葡萄と少女」の名が確認されている。

その後、フランス人画商が自身の著作で購入を明記し、ヨーロッパ世界に初め て知れ渡った。巨匠グスタールの超大作とあって一般公開はされず、当時から「目撃者無き絵画」と呼ばれていたという。ただし、この画商によれば、

  • 油絵であり、
  • 薄暗い室内で健康的な少女が葡萄の房を摘んでいるモチーフで、
  • 光と影が素晴らしい構成で成り立っている

という傑作だったという。

決して絵を公開しようとしなかったこの画商の死後、「葡萄と~」を譲り受けたと主張する人々が十数人現れ、その流れの中で”行方”はわからなくなっていた。

世界の熱狂

19世紀、フランスを中心に「グスタールブーム」が巻き起こった。この時、ヨーロッパ中の画商や蒐集家が「葡萄と少女」を探したものの、結局は見つからず。行方は「西洋美術史の謎」とまで言われるようになった。

その後、第2次世界大戦中にはナチスドイツが所持しているとの噂も目立ち、イギリス諜報機関がドイツの美術関連施設へ数多く潜入したのは有名な実話である。

オランダ政府が1970年、この絵の第一発見者に200億円以上(当時:日本円換算)を進呈すると懸賞を出したこともある(現在も継続中)。

虚像から実像へ、そして虚像へ

スイス文化院は、「展覧会の出品リスト」から始まった一連の文献を徹底的に再調査した結果、誰も「葡萄と少女」を目撃したものはいないと確信したという。

同院のクスマイル研究員は今回の論文で、「展覧会を主宰したフランス人は、詐欺の前科のある男だったことが判明しました。彼によって、400年も騙されていたのです」と語る。

「名前ばかりの絵画がいつの間にか現実に存在していたことは、衝撃的な事実です。400年後に幻に還るとは、やや遅すぎたかもしれません」

これまで、歴史上の数多くの巨匠が、限られた記述を元に独自の「葡萄と少女」を描いてきている。「『葡萄と少女』はありませんが、やはり『葡萄と少女』は存在してることは事実です」と半ばパラドックス的な解決に、美術界の反応が注目される。

※100人以上の画家による「葡萄と少女」全129作品を史上初めて集めた『129人の「葡萄と少女」展 中世から現代アート』が来月から鷹森美術館で開催されます。是非、お越しください。